最近、おさらいも込めて、息子の小さい頃の写真を見ることが多いのですが、
かわいいです。親バカですが、本当に。
産まれる前は、制作部の貴公子・加藤氏のお子さんの写真をよく見せてもらっていて、
かわいい〜とか言っていました。
人の子供ですらかわいいのに、自分の子供だとやばいっすよね!
なんて話をしていたのを思い出します。
ちょっと重い話します。
自分の息子は、生まれてすぐ、小児痙攣っていうものになりました。
今は全ッッ然そんな痙攣なんて起きてないのですが、当時は焦りました。
生まれて2日目です。
嫁から電話がありまして、痙攣を起こしていると。
ずっとってわけではなくて、10分おきに1分くらい手がピクピクなるんです。
仕事中でしたが、当時の会社の代表に話して、すぐに病院へ向かいました。
医者の話だと小児痙攣だと。
着いた時は医者から直接話を聞くことはなく、看護師さんが話してくれました。
夜まで様子を見よう。
それでも続くようであれば、病院を移そうと。
うちの病院では対処できない。と。言われました。
おいおいおい。ちょっと待て。
こっちはいろんな人に話を聞いて、わざわざ市外のおたくの病院を選んだんだ。
そりゃあねぇだろう。
って言いました。でもダメでした。
原因がわからないから、精密検査の必要があると。
うちではその検査ができない。
そうですか…としか言えませんでした。
できないものはしょうがないと、割り切って、痙攣が収まるのをただただ待ちました。
その話を自分らの親にも話をしたら、病院に来てくれました。
母親は泣きそうになっていました。
そして夜までの間、痙攣が起きるたびに嫁は心配そうに手をさすり、その度に自分は看護婦を呼び。
看護婦さんもどうしようもないのをわかっていて、手をさすってくれたり、いろいろ看病してくれました。
結局夜の9時くらいになっても、痙攣は治らず。
医者と話をして、県立中央病院に搬送しようと。
そして救急車に乗せられました、生後2日の子供が。
救急車はなんといっても車であり、揺れや多少の衝撃ももちろんあるとのことで、
鉄のケースのようなものに入れられました。
で、救急車には自分が乗って行くと言ったら、
隊員さんに「お父さんは自分の車でいらっしゃってください」と。
なぜ?と聞いたら、状況が状況なので、産んだ病院の看護師さんが付いて行ってくれるとのこと。
一人しか乗れないんですね、救急車って。
ふざけんなよ。って思いましたけど、相手はプロです。
任せました。
入院していた病院から出るとき、嫁は泣いていました。
嫁は帝王切開で産んだので、安静が必要。
病院にいるしかないのです。嫁の気持ちは自分なんかよりはよっぽど辛かったでしょう。
でも、大丈夫だよと言うしかなくて、ていうかそれしか言えなくて、車に乗りました。
自分の車には自分と親、嫁のお父さんは自分の車で県立中央病院まで来てくれました。
救急車から離れたらヤバいんじゃないかと思って、後ろをくっついていきました。
信号無視ギリギリのタイミングも何度かありつつ、無事県立中央病院着。
息子に会えたのは、それから検査が終わり、子供用の集中治療室に運ばれた後でした。
病院を移動した後は1回だけ痙攣が起きたが、その後は全く起きていないとのこと。
検査をしてくれたお医者さんに話を聞いたところ、小児痙攣のほとんどは原因不明だそう。
息子も検査はしたが、大きな問題は見られないと。
ただ、脳のスキャンをした時に少し影があると言われました。
撮影のタイミングで少し影が入っただけかもしれないし、子どもの脳は完全な状態ではないから、
これが原因だとは言い切れない。影も消える可能性の方が高い。反応も異常ないので、おそらく違うだろうと。
そう言われました。
ただ、仮にこの影が消えることなく、脳になんらかの異常がある場合、痙攣は続くと。
3歳になるまで様子を見ていく必要があると言われました。
その時はただただ、現実が受け止められず、放心状態でした。
その日は少しだけ息子に会えましたが、嫁に報告しなければいけなかったので、
すぐに嫁のいる病院に戻り事情を話しました。
嫁は比較的落ち着いており、話もすっと聞いてくれました。
落ち着いていなかったのは自分だけでした…w
その後、嫁の状態も落ち着き、退院。
息子のためにおっぱいを絞り、凍らせて、病院へ一緒に届けに行く日が数日続きました。
何もわからない人・母性とか感じたことがない人・親からの愛情が足りなかった人は、ここで
「え〜!?まじで!?ウケるwありえないw」
とか言うんでしょう。
わかる人だけにわかってもらえればいいです。
てゆうかわかる人にしかわからないと思います。
そのおっぱいを絞る姿、は母親の強さを感じました。
母親も辛いのです、おっぱいは張るし。
どうにかして届けたいという、母親の強い気持ちです。
届け続けて、1週間程度でした。嬉しい報告が届きます。
息子の容態もずっと安定しているので、退院に向けて嫁も県立中央病院に数日寝泊まりできることになったのです。
もちろん、息子と一緒に。
本当であれば、産んだ病院でするはずだった沐浴やその他、
母親になるにあたってやれるようにならなければいけないことができるのです。
嫁はもちろんでしょうが、自分も嬉しかったです。
嫁が県立中央病院にお世話になり始めてから、クリスマス会なんかもあったりして、楽しく過ごしたようでした。
今日は沐浴した!笑った!とか嬉しそうに報告が来ました。
仕事がら、遅くなってしまうのですが、県立中央病院は寛大。
何時になってもいいとのこと。誰かいるんですって、絶対。
どんなに遅くなっても病院には行きました。
退院の日。
自分は休みを取り、前日夜遅くからから寝泊まりして、一緒に退院してきました。
それから何度も病院へ様子の報告をしに行きました。
1週間後。1ヶ月後。3ヶ月後。
退院後も問題なと判断され、通院も終了。
ただ、最初に言った通り、3歳までは様子を見てください。と、言われたそうです。
その後、痙攣が起きることもなく3年以上の時が流れました。
それがあったからか、いくら叱っている時でも息子の頭を叩くことはありません。
大丈夫であることはわかっているのですが、叩きません。
良くはないでしょうからね、そういうのは。
今はクソ元気です。
毎日毎日戦いごっこ。仮面ライダーゴーストだって。
かわいいです。
子供が生まれてくるときは何があるかわからないとよく聞きます。
生まれてきてからも何が起きるかわかりません。
世の母親全員マジリスペクトっす。いや、本当に尊敬します。
親になって気づくこと、気づかされること。
2番目にも教えられることがたくさんあるんだろうな。
もちろんうちの仮面ライダーにもw。
ご静聴ありがとうございました。
来週末が楽しみです。
終わりw
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